タイトルは最後に。 多くを語るとことは決して美徳でないし、意味をなさない。思いの丈を綴ること、思うこと空想することは自由だが、実行が伴わないと全くの空論であり無に変わりない。けれども、思いが無ければ何も始まりはしないことは可も不可もなく事実である。なんて事を考えたのは、今日半日以上をかけてあるHPのある文章を読みあさった結果である。影響されやすい私はその言葉を素直に口にし、咀嚼し、飲み込んだ。ここで大事なことは、決して丸飲みはしていないこと。影響はされやすいが、読みながら、待ったく別のことを考えもしたし、好みでない味付けもあった。けれど、確実にそれは私の体内に吸収され、いくつかの成分はやがて細胞を成すのだろう。それは、明日か明後日か、10年後か...。ある部分は既に忘却として、排出してしまったかもしれないが。奇特にもここをお読み下さる、知り合いの方はとっくに気づいているだろうが、私は語ること書くことも、もちろん描くことも好きだ。先人からすれば、20ちょい+程度のガキの戯れ言に過ぎないことは先刻承知である。が、こうして何かに綴ることで、渦巻いたカオスの脳内を整理・消化し、自らが認識する為の羞恥の自慰を行っているのだ。結局、アートとはその自慰の塊であり、他人に痴態をさらす行為であることに他ならないと認識している。こうして綴ったものだって、糞のようなひとりごとだろう。(なんか、いつにもまして口が悪い文章だな。)でもやっぱり、ひとりごとは好きだから勝手に行うとする。人に迷惑かけなければ、なんでもいいとは言わないが、こっそりする自慰くらいは許してもらわないと、思春期の青年ではないけども、体に良くない。代謝だって落ちる。ん?こうして公の場にアウトプットしてる時点で、こっそりではないか。えーと、ま、いっか。(これ以上、この方向性で文章進めると只のアダルトになってしまう気もするし。)以前『なんだってやったらいい事に気づいた。』と書いた。それを再認識させられた。それは友人の一言であったけど、今日はそのHPに書いてあった。本人は、そんな大層な物でないと自分のことを言われるだろうが、私からすれば、やはり第一線で腐らず走っている素敵な先駆者であることにかわりない。偉大な人だと思う。もちろんその仕事は知っていたし、好きだし、憧れもする。けれど今まで、ふ〜ん程度の認識だったのが、ここまで面白い人だと思えたのは、やっぱり坂道を上り続けている人だったからだ。俺はすごいと思ってないとこだ。(本心は本人しかわからないけど。)そう思える人が書いたその一言には、さらに鮮烈なる気づきを頂いた。伝説の三人と呼ばれる、エロ仙人であってもその修行を怠らないのだから、はやり日々精進である。(こういう、はしばしにオタクが出てるのも自分だな。)その点、自分はなんて口先の人間だろうか。結局、何も成していないし、成そうともしていないのではないか。そう思うと落ちていくし、憂鬱の茂みを彷徨い出す。けれでも、その混沌は、何かを成す未知のチカラにもなりうると、思って歩いていくしかないんだろう。そもそも、そんな場所が存在しうるか怪しいけど。いつかなんて思ってるようじゃ駄目だ。立ち止まっているようじゃ駄目だ。口先だけじゃ駄目だ。開拓だけでも、上塗りでも駄目だ。この、面倒くさがりで、臆病で、引きこもりで、口先だけの人間であることを何とかしないと。なんて、気持ちだけまた突っ走っても、焦っても現状がすぐどうこうなるわけではない。感は必要だけど、そのインスピレーションで動くには、大胆さと緻密さ、それに見合う技術と精度、そして戦略がなければたどり着けないものである。たとえ感のみで動いてるように見えても、それは経験の上に積まれた反射であり、返せば何よりも筋の通った理論が潜んでいるのではないだろうか。つまり、私は焦るだけで何も見えなくなってはいけないんだろう。焦ることは必要だ。緊張感のない仕事なんて、たいしたものにならないだろう。逆に、緊張だけでも駄目だ。緩和のない仕事では、緊張を伴うことも困難だろう。あはw、今日も出口が見えないな。こう言うの書き出すと、いつまでもつきないであらゆる方向に枝分かれし、時にはワープして、まわり続けるからどうしようもないね。陰陽五行説じゃないけど、何事も、いろいろな要素が隣り合い、混じり合い、反発し合って形成されているのだと思う。何モノにもなれていないから何モノにもなれる。何モノにもなれていないものは何モノでもない。あんまりこう突き詰めるとパンクしそうだが、考えるのは好きだ。結論はいつも、そうして今「生きている」にたどり着くのだけど。何の為に働くのだろう。って働きマンで言ってた。生きるため?何かを残すため?はっきりいって、どれもわからん。何の為に、今就活してるのか、デザインしたいのか、よくわかんなくなってきたりもするし、これだって思えて生きてる人なんてどれだけ居るのか。それでも、やっぱりあきらめきれないでこうしてもがいているんだ。かっこいいことなんて一つもない。えらくもすごくもなんともない。だから、だからこそ、どうせなら好きなこと思いっきりやって死にたいものだ。タイトルは最後に。どうにか、食らい付くしかない。 PR
まだまだ もっと必要だって。まだまだ足りない。足りなさすぎ。オレ修行不足。これでよしなわけじゃあない。もっと、もっとだ。沢山、考えなきゃ。だいたいじゃ駄目なんだ。満足しちゃ駄目なんだ。最近、気付く事多すぎでパンクしそうだけど、気持ちが焦るばかりだけど、どうしたらいいかわからないけど、多分そういうこと。頭で分かってただけじゃ駄目。やらないとやって無いわけだ。理屈や理性で理解してたつもりの事が、分かってなくて、今更感じるなんて馬鹿。今の全部がコレ。ポートフォリオができました。遅いな。今、頑張ってコレしかない。コレしかできなかった。だからとにかくこれで勝負。けど、一里の望みがあるならば全力じゃなきゃ。負け戦はしない主義なんだ。面白いってなんだ?面白そうってどんなだ?やばい。やばいね。やっぱり面白い所に居る人たちはすごいパワーだ。パワーに圧倒されてしまう。恥ずかしくなってしまう。悔しい。悔しい。もっと頭動け!まず100なら100ないと。1/100と1/10 じゃどうみても厚みが違う。すぐ惰の誘惑に負けちゃうけど、。いいんだって、突飛な奴で。普通にやって面白いわけないし!たぶん、みんな「どうだろう‥」て思うだろう。けどさ、私は変な人なのでいいんだよ。きっと。もっとなにか出来るはず。もっと、もっと。お母さんすまんね。まだ、だいぶ迷惑かけます。闘志。イェス。
シリーズ:ひとりごと ◆こんな場面に出くわしたら街中で信号待ちのとき、駅で電車待ちのとき、目の前をカラカラカラ…とゴミ袋や缶が横切ると、「後ろを向いて3歩でバンだ。」と、途端に西部劇のワンシーンを思い出す。そして、何処かに敵(←誰!?)が居ないかと用心して見渡してみる。最後に(信号わたったりするとき)「どうやら命拾いしたようだな。次はねぇぜ。」と心で呟くのです。
悔しいくらい好き 物ごとを、嫌いだと切り捨てるのは簡単。傷つきたくないから、目を逸らして逃げればいい。知らん振りして、耳をふさげば大丈夫。どうせ届かないからと、諦めるのは簡単。他人など、関係ないとすましてればいい。大事なものや、好きなものなんて作らない。私は一人で大丈夫。そう思ってたんだけどなぁ。久々に声を聞いたらやっぱり好きで‥なんか悔しい。聞くつもりなんて毛頭ないのに耳が拾ってしまって、身体は正直だ。いつの間にか心も凪いでいて、好きな物は好きなんだろうと、面と向かって突き出されたみたい。ええ、好きですよ。好き。‥くそぅ。シリアス→切甘、夢みたいになりましたけどー。詩っぽい、抽象のような具象のような日記を良くかきますね、自分。腐ってるからな☆腐ってる自分も案外好き。みたいな立派な腐りっぷりだぜ。久しく人間と会話してないので、そろそろ頭をクリエイティブにかき回して行こうと思います。好きな事を好きだと言うのにもリスクを伴う時代だと、言った人が居ます。正面切って好きだと認めるには勇気が居るもので、意味とか意義とかを考えだすときりがない。そんなもの本当はないんじゃないかと思う訳ですが、人間はそれを必要としてたり。しばらく離れて忘れたつもりだったけど、やっぱり好きで止められないから、明日も歌って描いて足掻くんだろうな。