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むかしのことば

あれってブログにメモったような…と思い、昔のブログ記事を読んでみた。
そしたら、私なかなか良い文章かいてんじゃん面白いよ。
と少し昔の自分を見直した。

最近、ブログの書き方がわからなくて…
書き方というのは、口調というか文調というか、
ニュアンスが違う気がしてたんだよね。
なんだか、どう書くんだっけ?
みたいな現象が度々あったのよ。

学生〜フリーター時代は時間あり余ってるしPCつけっぱで生活してるから、
それとなく字切りとか改行とか気にしてた。
今は、携帯から更新する事が多いので、そこらへんは気にできていない。
たぶんそういう端々が変化したんだろうなぁ。

このタイトル何書いたっけか?とか、
今読むと全くわかんちんな内容もあったりして、、、、
お主なかなかやるのぅ(笑)
今よりボヘーっと自分と対話してたから、内容も深いと言うか、
自分の頭整理のためのブログとして色々考えて書いてんだなぁ。きっと。

今もときたまそう言うの書くけど、日常のメモになっちゃう事が多いからな。
(それはそれで良いけど)



大事だよ。自分の時間とかさ。
流れに追われて、消化するだけの毎日になりがちだけど。


今日は、久々にPCで書いてみたわけだが。
ちょっと淡々した運びが、なんか一番らしいなと思う。
テンション高めのときもあるけど、根底にあるだろう引きの視点がしっくりくる。

いや、ま〜、ブログのタイトル通り所詮”ひとりごと”よな。
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ひとりごと〜ありがとう、さよなら


ありがとう、さよなら。
25才の私。


また一年色々あったよね。
新年は一年の始まりだけど、
私にとっては1月12日が
一年の始まり。

今日で、25才四半世紀生き抜いた私とはさよなら。

さよならのようで、
さよならじゃなくて、
明日も同じように朝が来るけど、
同じようで、
同じじゃなくて、
今日とはちょっと違う私が居る。

出会ったり別れたり、
それは刹那の出来事で、
当たりだから特別。


嬉しかったり、悲しかったり、
楽しかったり、切なかったり、
笑ったり、苦しかったり、
色々あるから人は生きている。
色々あるからこそ本当は素敵。

25才は節目に相応しく、
たくさんの始まりと、
たくさんの終わりがあった。


全部を受け入れる度量はまだない。
見ないふりをしたいものも沢山ある。
でも、無駄なものなんて
一つもなかったと信じたい。
まだあくまで希望だけどさ。

だから伝えられなかった言葉も、
大切にしたい想いも、
ちゃんと忘れずに26才になりたい。

なかった事にして可哀想
なんて想いたくないし、
ほって置いてこびり付いたら
とれないなんてもっといやだし。

ときには、さよなら出来る強さもある。



勝ち負けじゃないけど、
私は、今の私に
頑張ってるよ、大丈夫だよ、
って言える私であれたらいいな。

自暴自棄になることもあるでしょう。
ちょっとゾンビにもなるでしょう。
それでも、這って、もがいて、
息を吸うんだろう。

人は生きてるだけで偉いんだ。
逃げたり、笑ったり、闘いながら
そのときなりに生きてたよ。
25年間の私。
ありがとう、さよなら。




これからよろしく、
26才の私。

たとえばゆるい幸せが


(ネタバレあり注意)


今更だけど『ソラニン』を読んだ。

カフェだったから泣けなかったけど、家だったら鼻水垂らして泣いたと思う。

この浅野いにおって作者はなんて乾いた現実の描写が上手いんだろう。他の作品は虹ヶ原/ホログラフしか読んでなくて、フィクションでファンタジーで、でもゆらりとした紙一重の世界がちょっと怖くて、スッキリとはしないけど、人生そうやって続くものかも、なんて思わされる。次はおやすみプンプンが読みたい。


『ソラニン』映画も見ていなかったさ。


種田なんで死んじゃうんだよぅ。

が、読み終わっはじめに呟いた言葉。
(話的にも要なエピソードで、割とサラッと死んでしまって、それはスタイルとして良いんだ。単純に芽衣子ちゃんの視点に感情移入してやるせなくなってしまった。基本原作至上主義なので内容に対してどうのではない)

もう、切なくて切なくて、心臓がうわーーってなった。芽衣子がソラニンの歌詞を読むシーンから映画版のアジカンの曲が自然と流れてずっとループしている。


中の下の人間が共感するなんて言ってる人もいるが、正に私リアルに共感してしまったよ。芽衣子は私で、種田は私で、ビリーも私で、加藤も、アイちゃんも私だ。日常の中のどうしたら良いのかわからん不安とか不満とか、毎日とか、なんか私だ。

私はたいして弾けないアコギと、描き掛けのキャンバスと、積み重ねた大量の漫画と、一握りの光を探しにどこに向かうのだろう。

芽衣子のお母さんが言った『若い頃って幸せになるためには困難な一つの方法しか無いなんて思いがちだけど、実はもっと単純なことなんだから。』って言葉にじわぁーときた。

種田が俺サミットして『逆らってみるか。流れに。』『…でももう、「次」は無いぞ、俺。』って言葉はガツンときた。


残像が鮮明で、まだ当分読み返せそうにないなぁ。それでも、すぐに読みたい気もする。





たとえばゆるい幸せが
だらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もうさよならなんだ
(ソラニンより歌詞一部抜粋)

アンバランス

バランスって、もっそい大事。

心も体も時間も仕事も好きな事も髪の毛も余白もカフェオレも。
とにかく、どちらか一方で成り立つなんてことはありえない。
空気も、自身が存在することも、すべてバランスがとれて成り立ってるわけ。

もしバランスがとれていないと、例えば宇宙に行ったらふわふわして歩けないし、コーヒーだってあわあわでは飲めない。だから、デザインだってアートだってどっちかじゃダメだ。手に入れるということは消失する可能性をともなうし、逆を言えば、何もないというとは限りなく自由でだからこそ不自由だ。

なんて、たまにおセンチなときはぐるぐると思考だけが歩いてしまって、体はココに居るのになぁ。すごくたくさんの思いと言葉がかけてゆくけど、捕まえることが出来なくて、結局まとまらない紙の角にカナシミ君をぐりぐり描いてみた。本当はもう結論は出てるんだろうし、ホントは私の中に在るのに、上手に伝えられなくてもどかしく口惜しい。

あぁぁぁぁぁ、ちょっと不健康なんで情緒不安定だ。
いや、それはそれでバランスとってんのだろうな。

波はやがて

何がどうなるかは、なってみないと分からない。

と、つくづく思う。
またまた大変な事になりそう。
嬉しい、驚き、不安、楽しみ。


大事なのは無闇に恐がらないこと、怖れを知ること、逃げないこと。

少しずつ進めているよね?
腐ってることも多いけど。


波は、、、
波はやがて大海を渡り、
うねりとなって陸へと帰る。


結局、人間好きな所に帰るのよね。それを他人の視点に当てはめたら、自分は腐ってられないと解るよね。それに気づいたら、生きなければならないと知るんだな。

とりあえず、今は、風邪を治そう。
体も心もPCも元気が一番だ。