たとえばゆるい幸せが (ネタバレあり注意)今更だけど『ソラニン』を読んだ。カフェだったから泣けなかったけど、家だったら鼻水垂らして泣いたと思う。この浅野いにおって作者はなんて乾いた現実の描写が上手いんだろう。他の作品は虹ヶ原/ホログラフしか読んでなくて、フィクションでファンタジーで、でもゆらりとした紙一重の世界がちょっと怖くて、スッキリとはしないけど、人生そうやって続くものかも、なんて思わされる。次はおやすみプンプンが読みたい。『ソラニン』映画も見ていなかったさ。種田なんで死んじゃうんだよぅ。が、読み終わっはじめに呟いた言葉。(話的にも要なエピソードで、割とサラッと死んでしまって、それはスタイルとして良いんだ。単純に芽衣子ちゃんの視点に感情移入してやるせなくなってしまった。基本原作至上主義なので内容に対してどうのではない)もう、切なくて切なくて、心臓がうわーーってなった。芽衣子がソラニンの歌詞を読むシーンから映画版のアジカンの曲が自然と流れてずっとループしている。中の下の人間が共感するなんて言ってる人もいるが、正に私リアルに共感してしまったよ。芽衣子は私で、種田は私で、ビリーも私で、加藤も、アイちゃんも私だ。日常の中のどうしたら良いのかわからん不安とか不満とか、毎日とか、なんか私だ。私はたいして弾けないアコギと、描き掛けのキャンバスと、積み重ねた大量の漫画と、一握りの光を探しにどこに向かうのだろう。芽衣子のお母さんが言った『若い頃って幸せになるためには困難な一つの方法しか無いなんて思いがちだけど、実はもっと単純なことなんだから。』って言葉にじわぁーときた。種田が俺サミットして『逆らってみるか。流れに。』『…でももう、「次」は無いぞ、俺。』って言葉はガツンときた。残像が鮮明で、まだ当分読み返せそうにないなぁ。それでも、すぐに読みたい気もする。たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとするきっと悪い種が芽を出してもうさよならなんだ(ソラニンより歌詞一部抜粋) PR